1986年7月7日


雨。
この日のANNは「あたいTシャツ」を100名にプレゼント。ただ「Tシャツください」と書いただけではダメで 一応でもネタを書き、かつTシャツ希望の意志を書かないとダメということだった。 番組内で読まれる読まれないに関わらず 応募枚数が多い都道府県順にTシャツの枚数も決めるという比例代表制なのだそうで 僕もネタを書きTシャツ希望と書いたのを出したような気がするが何を書いたのかは完全に失念。 当然、ボツでハズレだった。

午前3時を過ぎ、30〜40分頃に中島さんが出てきた。 「みゆきさんがんばってねー」等声をかける人の中 「いい!?ちょっとホラあけて。こっちでーす。」とタクシーへと誘導する関係者(多分スパンキー)に押しのけられる僕。 何やらを作りましたと何かを渡している女性に (み)「あらら、ありがと。」 と答える中島さん。喧騒の中、 (み)「おつかれさまー」とタクシーに乗り込み去ってゆく。

走り出す車に向かってパシャパシャと撮っていた男性が居て運悪くそれがちょうど関係者の目の前。 低い声で「フラッシュたかないって言ってるだろぅ」とその男性にすごむ関係者。 思わず「あすいません」と気弱に答える男性 「何度言わせるんだよ、いいかげんにしろよ」静かで強い口調だった。 何かと腹が立つ事も多いんだろう。 とはいえフィルムを出せと言われる事はなかった。 他のタレントさんの場合などでびーっとフィルムを引き出された人が居るとか居ないとか、 そんなどうでもいいような噂もこのLF前で聞いた。

ちなみに、これは憶測で確認する方法が無いが、しかし個人的には確信をもってこの怒った関係者は 現ヤマハミュージックコミュニケーションズの代表取締役社長の烏野”WOODY”隆弘氏ではなかったかと思う。 違ったらごめんなさい。

中島さんが去った後「目が合っちゃった」等々興奮しながら知り合いと話す人々の中、 大きくため息をする僕。「あんまりおもしろくなかった」とぼやく・・。

やはりこの日も僕は絵を描いて持ってきていた。 いや、正確には3回目にしてもう面倒臭くなり、スケッチブックに落書きで描いてあったものを流用、 同じようにプラ板に張り付け封筒に入れて持ってきていた。 左の絵がそのコピーなのだが、これはペンだけで描いたもの。 基本を知らないのでかなりいい加減な陰影のつけ方であり 黒い背景も全部製図用インクで塗ってしまうあたり、 当時はやたらとGペンで落描きしてたが結局なんの意味もなかった。。 それはともかく元の写真は「魔女伝説」の中の一枚。

さて、先に書いてしまうが先々週の最初の一枚から諸事情により渡せなくなってしまうまで 実に30週に渡り僕は毎週毎週絵を描き続けることになる。 後に出てくると思うが実は録音だったなんて日もあったり、玄関から出ず裏から帰ってしまった事もあり、 そういう不可抗力で渡せなかった日を除き半年以上毎週毎週。

これを毎週渡す事で中島さんに覚えてもらおう、というやらしい気持ちも勿論あったのだろう。 しかし覚えてるかどうかを確認する方法もないし、 これをすれば何がどうなるものだと当時なんらかの期待をしてたかどうか今となっては忘れてしまった。 とにかく毎週毎週描いて渡そう、と心に決めていた。






7月14日


今日タクシーの運転手さんに「アンリ菅野さんですか?」と訊かれたと話している中島さん。 なんでも声がそっくりで似てるというのだが、当時僕は知らない人だし全く気にも留めていなかった。 ふとネット上を検索してみたところ、2000年の6月にガンで亡くなってる事がわかった。 51歳という今の中島さんとほとんど同じ年齢・・。

番組終了後、わりと早い時間に中島さんは出てきた。 玄関先に関係者がまず出てきて「フラッシュやめてくださーい」と先手をうって言う。 玄関近くに居た常連の一人がすこしおどけたように「フラッシュやめよーねー」と振り向いて集まっている人に言う。 すぐに関係者に囲まれて中島さんが出てきた。

この日も僕は絵を描いて持ってきていた。 相変わらずペンで輪郭を描き濃淡だけつけた簡単なもの。それを白い紙袋に入れて持ってきていた。

この日はやたらとフラッシュやめてとしつこく関係者が言う。玄関少年の常連も少しふざけ気味に真似てそれをいう。 どさくさまぎれに「Tシャツくれ〜」などと言う。中島さんはあまり元気ではない。ものを貰った時のありがとうの声も少し小さい。 とりあえずなんとか絵を手渡すことができたようで、僕は中島さんの後ろをなんとなくついて行く。どうもこのとき中島さんの肘をさわったようだ。 タクシーに乗り込んだ中島さんを、車の後ろへ行きぼーっと見てると「ちょっとバックするからね」と再び関係者に押しのけられる僕。

絵を渡せた安堵感はあったものの、どうも納得がいかない。中島さんがその絵を見たかどうか判断できない。 とにかく中島さんが一瞬でも見たという確信が欲しい。そんなことを思いつつ。。

車は走り去る。「ま・・いいでしょう・・」とぼそりとつぶやく僕。




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