1986年6月2日
この日はツアーの楽日でもあり、沖縄からの中継。 やはり 玄関には行きませんでした。 ツアーの楽日当日の深夜にラジオを生放送でやるあたり、まだまだ中島さんは若かった。 そうはいってもすでに録音された糸井重里氏との対談というより萬流コピー塾のコーナーが唐突にあったりと 一応は中島さん達(ツアーのメンバーもスタジオ来ていたよう)を休ませようという思いはあったようだ。

番組の最後に流れた『この空を飛べたら』がやたらと印象的でした。






6月9日


さすがに丸二ヶ月も経つと回数的にはそんなに行ってはいないものの、なんとなく色々と判る事もでてくる。。 時間も中野駅午後10時03分の東京行きに乗れば中島さんの入る時間より前に大体着く事ができるんだと判ってきた。 そして一応ではあるものの玄関前の雰囲気にも慣れてくる。 いわゆる常連の人達以外にもしばしば来る人などが居てその人達と話をするようになった。

当時僕は随分横柄で知ったかぶった態度で人と接していたと思う。 今もそうだと言われそうだが まあそれはともかく、玄関前で録音した音声の中には当然自分の声も入っており 当時の自分の声など実は聞きたくも無い。話をしてくれた人達は皆優しかったんだなと思う。

98年頃に撮影した右の写真のちょうど看板が置いてある辺りに座り込んで放送をラジオ付きウォークマンで録音しつつ聴いていた。 ちなみにこの写真、『伝われ、愛』の中にある玄関少年達の写真とほぼ似たようなアングルから撮ったつもりのもの。


この日また僕のハガキが読まれた。
僕に中島さんの存在を教えてくれた、そのときはまだ愛知に居た学生時代の友人の名も書いて、 『Y(友人の名前)元気でやってるか有名エコー希望』として中島さんにエコー付きで読んでもらった。 玄関前で座り込んで他に居た同じように待っている人達と話をしながら、イヤホンで聴いていた僕は 「あ、これ俺」というような事を思わず口走ったような気もする。

ちなみに何年も後で訊いた所、愛知に居る友人は放送を全く聴いていなかったそうである。

さて、どんなネタだったかはどうでもいいのだが やはり中島さんから何かしらのコメントを貰おうという魂胆のもと、絵を描いて出したのだが とりあえずは絵の説明もしてもらい、なんとなく笑ってももらえた。

この日はS&B食品から「エッグカレー」と「カツカレー」なるものの提供があり読んだハガキの人にプレゼントをしていた のだが、僕はエッグカレーの方を貰った。レトルトカレーの中にゆで卵一個がころんと入っているというシロモノ。 実はこれが実際に売られているところを見た記憶がないのだが、本当に売られたんだろうか。

さらに握手券をくださいと書いたおかげで握手券も貰う事に成功。二枚の握手券を所持することになったわけだが 前にも書いたとおり数ヶ月後に入れていた財布ごと紛失。こんなエッグカレーのパッケージは残ってるのに。

読まれてから二週間程待ったもののなかなか来ない。それならとそれをネタにしてハガキに書いて出したところ、 すぐにエッグカレーと握手券だけが入った封筒が届いた。ホントにそれ以外何も入っていなかった。


さほど寒くないというだけで深夜にもかかわらず意外と中島さんを見に来る人は増えたりする。 この日は「はい、ちょっと道あけてください」「はいフラッシュたかない」というマネージャーの声と 喧騒の中、中島さんは去っていった。何か「ありがとう」等の言葉がぼんやり聞こえる程度。 どさくさに紛れて「最近パワーが感じられませんよー」とか「やめないでー」と大声で叫ぶ男性の声もあるのだが こういう事をこの場で言えるのは多分常連だと思う。番組内でそれまで一枚か二枚出る程度だったらしい握手券が 最近になってやたらと乱発してる事から常連の間では番組が終わるらしいとまことしやかに囁かれはじめた頃かもしれない。

タクシーに乗り込む間際に
(み)「あ、あれラスカルのだ」
という言葉を発しているが放送以外でもちゃんと「ラスカル」とあだ名で呼んでいるという事が わかるが結局何のことやら今となっては判らない。


自分のハガキが読まれたにもかかわらず、 この日、帰りの始発の電車に乗りながら今まで感じた事が無い猛烈な虚無感に襲われていた。 今から思えばこの恐ろしいほどの虚無感が僕を次なる行動に駆り立てたきっかけかもしれない。






6月16日


梅雨入り宣言が出されたこの頃 稲垣潤一氏のコンサートに行き初めてカメラチェックをされたという中島さん。

たまに中島さんのラジオで読まれたハガキで、コンサートへ行くというのを「みゆきさんに会いに行く」という 表現をされる方が居て、どうも僕は違和感を感じずにはいられなかった。 中島さん自身も「みなさんとお逢いできる云々」という表現をしたりしているがこれは普通といえば普通。 この2か月毎週のように通っていながらもあれほど近くで中島さんを見ていながらも LFへ行く行為を僕は「中島さんを見に行く」と表現している。 自分から中島さんに話し掛ける事などありえないだろうし、また話し掛ける事が出来たとしても 向こうがこちらの存在を認識などできるはずもない。 向こうがこちらの存在を認識して初めて「会った」という表現にしたいものだが、それはありえない。

この日は玄関前の音を録音をし忘れ途中からしか音声が無い。どうもそこに居た人達は常連さんが大多数だったようだ。 「冗談じゃねえな、全く・・」とつぶやく僕。




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