夜会 VOL.8
<問う女>


1996年12月4日(水)
Bunkamuraシアターコクーン
S席 ¥13000
値上げの一途をたどっております・・・



はっきり言ってしまうと夜会の歴史の中で一番ダメだったと思うこの年の夜会。

それは後に出たビデオの構成まで変えてしまう修正部分の多さ、 この翌年の夜会の再演がこの「問う女」ではなく「2/2」であったこと、 「羊の言葉」「異国の女」が歌として存在するはずだった、などなど。 なんといっても観た感想として良かったと思える部分がほとんど無かったのは確か。

とにかく時間が無かったんだと思う。これに尽きる。これ以外に考えられない。 前回のを観たあと全曲書き下ろしなんて作業を今後やっていけるのかな、と思った不安がもろ的中。 曲も満足に用意できず、さらに物語も煮詰める事ができずと苦しさを垣間見た。

しかし、契約もあるしファンも楽しみに待っている、ってんでとにかくやらなきゃいけない。 この苦しさを翌年の夜会では再演という飛び道具をつかってしのぐ。

さて、今回の夜会は曲が異様に少ない。 パンフの曲順に「JBCのテーマ」なんてのが平気で入っている。強引だ・・。 曲の少なさをカバーするため、演技部分が必要以上に多い。 おかげでもろに演劇になってしまったというのが第一印象だった。 演劇の方に傾いてしまうと中島さんにとってはかなりつらい。 DJを実際にやっていたせいで素の中島さんとダブってしまうが、演技としてDJをしているので必要以上の誇張となってしまい かなりつらい。

特筆すべきは舞台装置のすごさ、中島さんを凌駕している。 中島さんを補助するどころか、私は舞台装置を観にここへ来たのかと疑いたくなるほど。 そして音響装置のすごさ、生演奏でやる意味ってあんのか、と思いたくなるほど。

序盤から延々と続くまりあの仕事風景。 ぬいぐるみを着たりして一応笑いをとろうとしているが、空回り。 インタビューで変な事を訊く役をさせられたり、 嵐の中でレポートの際にも、ともかく変でおかしいメディア側の対応。 あまりにもおかしすぎる。 中島さんが心の底で感じてるであろうTV等に対する嫌悪と、主人公へ感情移入させるための苦しい描き方。

ステレオタイプ的に描かれたニマンロクセンエン。 ニマンロクセンエンはどういう人なんだろう、全くなにひとつ描かれていない。 娼婦というもの自体、中島さん自身なにも解ってはいないんじゃないかと思う。 HIVに感染してると自覚してて、酔ってからまれたとはいえ女性に手を出してニマンロクセンエンと言う娼婦がどこにいる・・・。

金を払って部屋に女性二人、一体なにするつもりだ、ニマンロクセンエン。 ここで何かひとつエピソードでもあれば、後のニマンロクセンエンに固執する理由にもなっただろうが、全くなし。 ただ、客の笑いをとっただけ。この笑いのとりかたは昔からおおむねずっと同じ今もなお同じ。 とにかくひとつ笑う場所を作らなきゃという意図は毎回感じる。 それほど必要とも思えないけども、”笑われるよりは笑わせたほうがええ”んだろうけどね。 結局なにひとつ通じ合う部分も全く描かれないまま、すべて主人公の都合というものだけで物語が進む。

何故か必要以上にニマンロクセンエンに固執するまりあ、 ともかく誰かと話をしたいが聞いてくれる人が彼女が思いつく全てに居なかったからとか、 都合よく解釈していけばどうにでもなりそうだが、普通に観ていてそう思わすだけのものが何一つ無かった。 前回のホテルでも話らしい話はしてないし。

結果、ニマンロクセンエンが死んでしまう事になっても、そこに連れて行きさえしなければ 死ぬことは無かったなんていう後悔よりも、 自身がHIVに感染したとラジオで話してしまうあたり、ある意味中島さんらしいといえるし、 この後味の悪さを全く感じない人がいればやはり中島さんファンらしい、と思う。 事故だからしょうがないといえばそうかもしれないが。やはり釈然としないものがある。

「あなたの言葉がなんにもわからない」「あなたに心がないのかと間違える」という表現は はっとする言葉だ。中島さん自身もやはり差別的な意識をもっていると気づいたのだろう。 そういう意味でこの曲は秀逸。

ラストの客席の通路を通って退場する中島さん。 この夜会での見せ場と言える場所がここである。ここ以外に実は存在していない。 ありがちだけどもそれでも中島さんにとって意外な退場方法に客は驚く。 だけども少々姑息すぎた。驚かせるしかどうすることもできなかったわけだ。 たった一度しか観られなかった舞台だけども、ああ・・これは舞台から客席に降りるんだ・・降りるしかもうないだろう・・と 思った記憶があるが、。 仮にこれに演出上の意味があったとしても、後付の意味だとしか思えない。

この『問う女』は、中島さんにとってもうまくいかなかった夜会だと思っているはず。 ビデオでも構成に修正をほどこしたりしたものの、結局すべてうまくいかなかった。 「小説」なんてのがあるが、別物と考えるのが妥当だと思う。 この場で観せられなかったものを、他のメディアで補おうとする事が間違い。 「この場で観せられなかったものを」という段階で、この舞台は失敗だったと証明するようなものだ。

この夜会の失敗以降、中島さんの創作活動の全てが夜会中心に動き出す事になる。 それはモノを創っていく人にはちょっとまずい方向へ進み始めてると思うのだが、まあどうなるかは解るはずも無い。 うまくいくかもしれないし。

『26000円というお金は、あなたにとって、大きなお金ですか。
些細なお金ですか。そのお金で、あなたは何を得ようと思いますか』

大きなお金ですよ、貧乏だし。


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