夜会 1989


1989年11月23日(木) 12月9日(土)
Bunkamuraシアターコクーン
S席 ¥5000・・・・歌暦の延長的な価格設定
しかし人から聞いた話だと赤字だったそうだが。

<演奏曲目>

・泣きたい夜に
・毒をんな
・杏村から
  <MC>
・03時
  <MC>
・時は流れて
・群衆
・あり,か
・黄砂に吹かれて
  <MC>
・わかれうた
・悪女
・あした
  <MC>
・気にしないで
・MEGAMI
  <MC>
・あわせ鏡
・鳥になって
・十二月

  <アンコール>

・二隻の舟

 この年から『夜会』が始まった。

 それよりさかのぼる事数ヶ月前、9月8日の金曜の夜に知人からBunkamuraへ来たらいいことがあるかもと連絡があった。 何も分からないままとりあえず行ってみてから、どうも日曜から窓口でチケットを販売するらしいと知る。 Bunkamura側は二晩も並んで徹夜は困ると整理券のようなものをくれて私達は家に戻った。 この時もらった整理券でとりあえず夜会のチケットを入手。 この後何年も夜会は続くが私の知る限り窓口販売は二度とやらなかった。

初期の段階では会場に入るときにカメラチェックをされなかった。それだけは覚えている。 長い公演期間中にカメラチェックするようになったと記憶しているが、定かではない。

新しい建物で何もかも新しい。 見慣れてしまえばなんてこともないが高低差がある土地に建てられているのでかなり変わった建物だという印象だった。 砂が詰められた灰皿を妙に覚えている。最近までまだ置いてあったし。 会場に入って客席をみると狭くて、たしかにこれなら何処から観ても中島さんをよく観られると思った。

年末に東京や大阪限定などで行うコンサートは1984年辺りから恒例になっており、 この夜会もその延長線上にあるものだと思っていた。 実際にまだまだ雰囲気はコンサートそのものだといってよかった。 特に全体にひとつの大きな流れや物語があるとかそういうのをなにも感じる事もなかった。

それでまだ何をしようとしているのかまったく判らない。 解らなくてもまだ中島さんを観たいという欲求の方が私は勝っていた。 中島さん自身もまだどういう方向へ行こうとしているのか、解らないようにも見える。 ただ、客と舞台の間に線を引きたいという意思はあったと思う。 インタビュー等で中島さん自身も”大人の”というような言葉を口にしていて、 明らかにそれまでのコンサートでのカップラーメンを舞台上に投げるだとか、舞台上にプレゼントを持っていくだとか、 無用な掛け声だとか、そんなものからええかげん脱却して大人になって静かに観ろよという意思が見える。 かなりエスカレートしてたしね。スイカ投げ入れたりと。

しかし客側の意識はコンサートのノリが続いていて、普通に「みゆきさ〜ん」なんて掛け声があったものの 中島さんはほとんどそれを無視、淡々とこなしてゆく。見終わった後に普通のコンサートの方がいい、という声を聞いたが 実は私はわりとこの雰囲気は好きだった。

「中島さんて魔女なんでしょ」なんて台詞がある。 この時は創作のキャラクタではなく現実の中島さんを使ってる。 まあねそんな台詞をいう女性はかなり危ない気がするが、まあ特に気にならなかった。 それよりコンサートツアーではあまり歌わない感じの曲があってそれが心地よかった。

さて『十二月』である。真っ赤なスカートで最後に舞台の後にくるくる回りながら飛び降りるシーンである。 飛び降りる前に照明が真っ暗になり、なんだったか分からなかった。 別の日に観た知人が飛び降りるシーン云々と話すのに思わず何それと思った。 また別の日に観てなんとか確認した気がするが定かではない。 演出がかってるがそれほど嫌味とも思えなかった。

普通にアンコールがあり、中島さんは一階の客席の一番前あたりから登場、どこから出てきたかはよく分からなかった。 ここで初めて披露される『二隻の舟』。 パンフレットに封筒が貼り付けてあり、中に『二隻の舟』の歌詞カードが折りたたんで入っていた。 夜会のテーマ曲だそうだが、まさかこの歌が延々と歌われる事になるとはこの時は思いもしなかった。

その夜会のパンフだが、赤地に黒の大きな文字で夜会と書いてあるだけのシンプルさ、 もちろん「1989中島みゆき」とか他の文字も入ってるが実にシンプルでこのデザインは好きだった。 このあと1993年まで年号以外は全く同じ表紙裏表紙で作っていた。 それが好きだったが、1994年から表紙に写真が入るようになる、残念。

それはともかく、驚いたのはページをめくってみてだ、 東京急行電鉄、東急文化村の取締役社長の二人の顔写真とコメントがページの最初のほうに載っている。 木の実ナナさんと中島さんの対談はともかくその後の数人の文章なんだこれ。 そして最後に広告のページが続く、NEC、NTT、第一生命、野村證券、日立製作所、東京急行、ぴあ、ビクトリア。 物凄い違和感。 そういやこういうのって初めてだな。へんなのあまり読むとこがないやとあまり気にも留めなかった。

一番初めのページにシアターコクーンの前で警備の人なのか知らないがおっさんと中島さんの写真、 横に「いらっしゃいませ お待ち申し上げて おりました」空白は改行。中島さん笑顔まだ若い。 これと同じような写真をvol.13『24時着0時発』のパンフでも見た。なんかあるのかな。

当時の夜会のチラシにはこうある『中島みゆきが初めて挑む、23日間、20回公演のロングコンサート。みゆきの「うた」に、手が届く。』やはり最初は”コンサート”だったんだなあと思った。


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