夜会 VOL.14
<24時着0時発>


2006年2月5日(日)
青山劇場
S席 ¥20000

チケット代が高いよ。

前回の感想に「私の理屈からすると満足できるものになっているらしい」と書いたが ホントにそうかどうかはともかく、丸二年後にまたもや再演。 今回は大阪でもやるそうだが、何年か前に関西で中島展のようなものを開催してたりしてあれは用心深くリサーチしてたんだなと思った。

大阪はともかく、東京でBunkamura以外でやるってのが意外だった。 場所に対する軽い思い入れも見る側にあったりするのだけど、まあ仕方ない。 大阪での公演もやるために舞台装置の汎用性を考えて青山劇場なのかもよと知人が言ってたからそうなのかなとも思った。

Bunkamura関係の企業が軒並み居なくなったせいかどうか知らないが5000円値上げの20000円というチケット代。 ほぼ同じモノを観るのに値上げというのは解せない。 パンフは一応買っておきたいので買うと3000円、パンフも値上げか。 広告が少なくなった分すこし薄めのパンフ。 「24時着0時発」の文字の大きさがでかすぎでものすごく悪趣味に見える。

合計23000円。 140分23000円ってちょっとした風俗かよなどと思いつつ。 あとカレンダー等のグッズを購入することでまさにニマンロクセンエンが買える金額になるな。 あのときって夜会二人分だったものな・・。ただ、これでももしかしたら実は安いんじゃないかと思う。 スポンサーが居て初めて成り立つ夜会って一体なんだろう。 瀬尾一三氏が絡むとチケット代が高くなるんじゃないだろうかとふと思ったが、まあ根拠はないなんとなく。 何年か前の吉田拓郎氏のツアーが10000円というのを見てふと思っただけ。 中島さんのツアーもすぐに1万台に突入する事になると思う。

実は青山劇場の隣にはしばしば行っていたのだが、青山劇場は初めて。 丸い柱にどでかい中島さんの写真がどかんどかんと貼り付けられてる。 そういえば青山劇場の道路を挟んだ向かいに大きな看板があってそこに夜会の写真が載ってたのを覚えている。 あれは海嘯の時だったか。

寒い。寒かったせいで開場時間が少し早まった。正規の開場時間までは客席には入れなかったが。 サロンパスの試供品の引換券って意味あんのかな。一応地下行って試供品を貰ったけど。 相変わらず、駅弁売りよろしく首から籠をさげたねーちゃんが歩いてた。 客席に入ると舞台上にまたミシンが置いてある両側には階段。ああまた同じなんだなと思った。 違うのは舞台の真下だったシアターコクーンと違ってオーケストラピットにミュージシャンが居るって事か。 一番端っこの後の席だったが一応両側に階段があるなあというのはなんとなくわかった。

出だしは前回と同じ、客席に星、汽車の音。音響がやはりコクーンと違うなと素人ながらに思った。 右端から中島さん登場だが服装が違う、歌の始めの方を低い声で喋るように言うが後は普通に歌って同じだろう。DVD見てないし。

序盤の「まだ結婚もしてないのに」は無くなってた。やはり前回のは意図せずにくすくす笑われてしまったようだ。 まあ後で情婦という言葉もあるから無くても構わない言葉だけど、あった方が良い気がする。 いかに中島さんがそういうのに敏感であるかこれで解るんじゃないかと思う、まあ私の思い込みでもあるけども。 一番初めの頭痛はやはり何だか解らないままなのだが、前回には無かった台詞「半分死んでる」というのがある。 パンフを見たら「過労から突然倒れて生死の境をさまよう事態に」なったそうだ。書かれた文字と演じたものとの隔たりを感じる。 しかし半分死んでるってなんだ?病気的なものなのか精神的なものなのか、とにかく半分死んだまま旅行ですか。 うつしみから遊離って何だ? 「こんな人生じゃなく、もっと違う人生があったならば」的な事を思うとしたらそれはどう考えても 見に覚えの無い男の死刑判決、自分は国外退去という災難の後、そう強く思うはずだと思う。

前回はあまり気にしなかったが国外退去でなんで列車に乗るのか、来た時は飛行機なのに。 陸続きの別の国に行くって事ですかね、 ただその災難があったにもかかわらず、さらには男の上着から見に覚えの無いカギ、 男に対する猜疑心も頭をもたげてくる中、番頭の財布をうれしそうに拾うというのがどうしても解せない。 前回要らないと思ったそのやりとりは今回もしっかりあった。どうでもええやんかそんなの。 番頭さんの来いというのに頑なに拒絶する意味もわからん。番頭さんもカギ持っとるやろってさっさと言えばいいのにと思った。 さらにホテル着いて電話をかける時のテンションもかなり異質、えらい災難にあってるのに。 この舞台上には感情がないと私が言うのはこういう部分から。

以前からぼんやりと考えてたのが中島さんて相当外国に偏見を持ってるんだなということ。 渡航先でトラブルに遭う設定が「2/2」「海嘯」「24時着0時発」と三つもある。 たかが三つと侮るなかれ、今までの夜会を14回と考えると5回もやってる。つまり全体の三分の一以上。 さらに「シャングリラ」は舞台が外国の設定、「問う女」は外国人が娼婦、ただまあこれは必然だけども。 撮影などで海外で嫌な事があった事を本に書いたりした事もあったが、 旅先での不安な気持ちというのを身にしみて知っているからかもしれないが、ちょっと安易に多い気がする。

やはり特に強烈な個性が必要とされないと思われる役、今回は番頭さんだった。 「ホテル」と書いたはっぴを着てたが、さすがにそこまで説明はいらないと思った。 そういや今回番頭さんは舞台上で実際に歌を歌ってたように見えた。 前回魚武氏は歌っていると思ってたら実は男性コーラスが歌っていて、 確認のためにDVDをちらりと見たら魚武氏の口が動いてないのにちょっと驚いたのだが。 コーラスに男性って居なかったように見えたし。確認するのめんどくさい。 あと鮭たちも皆舞台上で歌っていたように見えた。

あの三代目魚武濱田成夫氏が叫んだ言葉は「居場所」だったんだな。と人が変わって初めて分かった。 これって解った方がええと思う。ああDVDの字幕表示させれば解るな。 そういやまだDVDを通して観てないけど。カンテラをかざして光る980timの文字を反射して浮かび上がったのが 舞台右に出た文字だとDVDをちらっと観て初めてわかった。今回の舞台も同じだ。今回はパンフに両面から文字が見える ような紙を入れるなどしてかなり解りやすくしているよう。グッズにもなんかそういうのがあったようだが、買わない。

舞台上の動きも少なくてと前回の感想で書いたが、今回はやたらと番頭さんはじめ鮭の方々も前回よりも出番が多かったと思う。 中途半端に暗い舞台上、中島さんの着替えの時間にボールルームダンスとかなーんか違う気がするけど。 あと中島さんが歌ってる最中に舞台真ん中に番頭さんが出てきて掃除やら、頭や肩にサロンパス貼ったりとか色々と。 なんで服の上から貼る、意味無いだろそれじゃあ、まあどうでもいいけど。

何故”影”が要るのか、それは本人は知らなくても影は知ってるってことなんだろうか。 終盤で影と中島さんが入れ替わるのはそのためか。じゃあ最後に証言台で証言したのは誰? 今回のラストは中島さんが影で香坂さんが本人という前回とまったく逆で終わった。 逆で終わったけども、何も変わらないエンディング。

相変わらず私は話を理解していないと思う。ある程度の予備情報を得て初めてなんとなく流れがつかめたような感じ。 もともとこれを言えば何が伝わる、これを言っておかないとどうしてもこれが解らないといった部分に実はかなり無頓着だと思う。 いや当然ものすごく考えて練りに練っているし話し合いもしてるだろうけど、それでもあえてそう思う。 創る側ってのは得てして見る側の立場に立てないものだとしみじみ思う。逆もまたそうではあるけども。

前回の夜会が2004年の正月から、今回の夜会は2006年の1月末から。 丸々2年の月日をかけて、結局再演しかも5000円の値上げ。 こういう考え方をしてみる、2004年1月の段階で高校一年生だったとする。 中島さんのファンになり夜会を観たとしましょう。 高校二年の時には夜会は無し、そして高校三年の大学受験シーズンに5000円値上げでしかも再演。 そらええ年をした人しかファンになってついていけないです。 アルバム「いまのきもち」を出すところを見るとそういう年齢層をターゲットにしてるようにも見える。 そんな高校生なんか中島さんを聴くわけないよ、みたいなな事を思った方、それはおかしい。 少なくともかなり若い世代に受けてたもの、だったはず中島さんは。

まあそれはともかく会場を変えるならば、せめて新しい演目でやるべきだったのではないかと思う。

前回創作活動全てが夜会を中心にと書いたが本当にその通りになってる。 2005年はTVの主題歌なども夜会の歌だけで乗り切ってしまった。しまいにゃシングルまで夜会の曲。

物語のための歌と前回の感想で書いたが、今回観ていてちょっと違った事を思った。 物語を構成するための歌といよりも、創ったのはあくまでひとつひとつの場面のための歌、 それら創った歌全部を繋ぎ合わせてひとつの物語を創作していったように思える。 そうなるとやはり無理な流れもできてくるだろうから歌に物語をすり寄せ、物語に歌をすり寄せていってるはずだとも思う。 曲自体は中島さんにとって結構会心の出来だったのではないか。

そう考えると中島さんがアルバムに入れるための歌も用意できていると自信満々で語ったのも、 夜会の曲だけでアルバムを制作したのも、正真正銘の主題歌を作る手腕を持つはずの中島さんがドラマに使用したのも夜会の曲というのも、 なんとなく納得できるような気がする。曲が先なのだと強くアピールしてるようにも見えるけど。 だけど単純に新曲を作るのがしんどくなってきただけだと私は思ってる。 やはりアルバムを先に出しておかないと意味がないと思う。

そういや『2/2』も物語のための歌そのものじゃないか、と思ったのだけど、当時全くそう感じなかった。 今もそういう感じは無い、なんでかはわからん。

パンフには「みゆきの歌に手が届く−」と一番初めの夜会のコピーがしつこく書いてある。 コクーンの狭い空間ではその言葉も説得力があったが、会場が広くなっても届くのか。 そういう事じゃないか。前回の感想で夜会も回帰しはじめたかと書いたけどまあまともに戻る事などしないだろうしそんなの無理に決まってる。 しかし今さらごあいさつ「『夜会』って何?」というのが解せない。 客層が変わったと思ってるからだろうか、いや、そもそもそんな疑問を持って観に来る人なんているのだろうか二万も払って。 夜会ってのは「つまり、ヘンなコンサート」だそうだ。だけど今になってコンサートですと言われても今やそういう風に観てる人は少ないんじゃないか。 大きな話の流れのある舞台を見てる以上その流れを追ってしまうのは仕方ない。 安に場面を作るための大きな流れではないはず。 観てるこっちはひとつひとつの場面だけを見てるわけじゃないから。

いや実は場面しか眼に入らない人、もっと言えば場面も何も関係なく自分自身に関係する言葉以外は 無関心な人が意外とものすごく多いのかもしれない。 実際にそういう人も知ってる人に居たし。 でも中島さんもそれに気が付いているように見える。そうならちょっとずるい。

最後、『サーモンダンス』はやはり観てても面白かった。今回は他の鮭の方々も出てきてなかなかのフォーメーションでおわった。 ミュージシャンは舞台上にあがらずオーケストラピットから一段高い所にあがり一礼、 間が空く、スタンドマイク持ってきた人に拍手してるみたい。

最後に少年風に着替えた中島さん、これの着替え待ちだったかあの間は。やはり最後に歌う。 列車に乗りこみながら手を振るしぐさで終わる。前回の感想で鉄道の要素なんか全く無い事に気がついたと書いたが なんだかとにかく鉄道の匂いを残さねばという感じがしてならない。 めずらしくもう一回観たいという欲求もなく、まったく気にならないまま東京公演が終わった。

前回の感想で「中島さんはさほど北海道に想い入れは無いと思う。」と書いたが、 これまた偶然にもその翌年に北海道ビールのCMに出演、 今年は北海道出身アーティストの曲を集めたオムニバスアルバム「北海道ソウルバラード」に「アザミ嬢のララバイ」が収録される。 こういう偶然てのはなかなか面白い。

ふと思ったのだが鮭の遡上してゆくさまがまるで銀の川のよう。ん。銀の川? 銀の河?銀河? 銀河鉄道、これや!って中島さんひざをたたいたりしてないか。まさかね。

自身の死が一番身近に感じるものなのかもしれないと前回の感想で書いたが、よく考えてみたら典子さんはまだ健在だった。 ルールには反則もあるいうてもねえ。





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