夜会 VOL.12
<ウィンター・ガーデン>


2002年11月27日(水),30日(土)
12月5日(木)
Bunkamuraシアターコクーン
立ち見¥5000 S席 ¥15000
チケット代はやはり高すぎる。

なんだか今回のは立ち見でもええかなと思い知人の立ち見を一枚譲ってもらいました。
やはりというかなんというか立ち見で観るぐらいでええかな今回は。疲れるけど安いし。


2年前の再演。
新しい物を創る時間が無かったんだと思う。前回の夜会の再演ということで いかに前回の夜会が中島さんにとって完成度の高かったものだったかが解る。 しかし、前回コンサートを止めてまで参加した谷山さんを再び拘束することはできない。 ということで今回吉田日出子さんが演じるはずだったのが、なんだか怪しげな病気という事で 降板、代わって海嘯でオカマを演じた香坂さんが演じる事になるといったドタバタもあった。 とりあえず意味も無く中島さんが中心になるだけにならなきゃいいかなと思いつつ観てみた。

で、思ったのが谷山さんをなめたらいかんぜ、ということ。 前回、谷山さんが出演した効果はやはり絶大であったと思う。 同じ役である「女」である以上やはり無意識に比べてしまう。 「女」の役の香坂さんの存在感が異常に薄い、薄すぎる。 それは彼女が歌を歌わないせいもあるかもしれないが、 前回とほとんど同じ台詞を喋っているにもかかわらず、この存在感の無さは何だろう。 彼女の発する言葉は普通の台詞に聞こえてしまい詩という印象を受けなかった。 公演の後半になるにしたがってこれは変わるかもしれないが、それじゃあ最初の方だけを観た人の立場がない。

「女」という役は谷山さんという胡散臭い存在が演じることで初めて成り立つ役だったのだなと改めて感じる。 谷山さんを意識して作られたと思しき曲もあったし、20年以上の表現者としてのキャリアも伊達じゃない。 前回の公演で谷山さんの存在が邪魔だと感じた人がいるとすれば 邪魔だと感じるほど谷山さんの存在感があったということ。 今回の最初の予定では吉田日出子さんが演じるはずだったということを考えても、 この役がいかに重要で存在感の必要な役だったかが解る。 「女」中心に話は進みつつもこの舞台の主役は間違いなく「犬」だなと確信させるものが前回あったのだが・・。 「槲の木」と「犬」が同じであるがゆえやはり「女」の存在感の希薄さが目立ってしまう。 前回異質な三者がうまくバランスを取っていたものが台無し。

当然の事ながら香坂さんがいけないというわけではない。 「女」役を中島さんがやったらいいんだというファンの声をちらりと聞いたが、 ほう ほんなら「槲」も中島さんがやったらええんちゃうか、と思う次第。 結局中島さんさえ出てりゃ満足とともとれるファンの声を小耳にはさむ度情けないやら悔しいやら・・。

今回、香坂さんは最後の最後以外歌は歌っていない。一応は歌を歌える人であるはずだが、 歌い手として任せる事ができなかったのか、初めから構成を変えるつもりだったのか、わかるはずもない。 とりあえず谷山さんが歌っていた部分はなるべく少なくなるよう工夫はされていたが、 どうしても歌わねばならない部分は地下深くの杉本和世嬢が歌っており、 前回火花を散らすように歌っていた二人のデュエット部分も消えて 耳で楽しむ事も無くなってしまった。あれは本当に面白かったのに。

「犬」の擬人化もやたら進み「女」の足りない何かを穴埋めをするように 中島さんの不必要な過度な演技が目に付き、 前のように犬だなと感じる部分も形式的にやるだけになってしまった。 前回はホントのただの犬だったものが今回は何故だか全く不明なまま特別な「犬」に大変貌、 それあたりが今回の夜会を良かったとする人の理由だと思う。。 要するに中島さんは特別でなきゃ気がすまないファンが結構いるってこと。

前回の「女」の死因が自殺であるというのがまずかったと感じたのか 物語の後半はそれまでの流れを無視して変更している。 解り易くするだろうと予想はしていたが、全く別のオチになっているとは。。 確かに「女」と「犬」の”死因だけ”は明確で解りやすかった。かちんこちんに凍ってましたから・・。 しかし別のオチにするためかなりの無理をしている。 始まってから中盤にかけての韻を踏んだり言葉遊び的要素も台詞自体にあまり変更はなく一応は健在だが 最後まで全て観るとあまり意味がなくなってしまう。「ヤコブの梯子」も結局フリだけ、という実にもったいないもの。 「犬」は何のために生まれ変わってまで待ってるんだ・・実にもったいない。。

それを代償に「犬」が空に雪を降らせてくれと頼むあたりもやはり強引。 強引を通り越して滑稽ですらある。 無理から韻を踏むために「恋より乞い」と「女」の男を登場させたりと、かなり強引。 そもそも何故「犬」は「女」が出てゆくのを止めたのか解らない。 下手したら「女」の死の原因は「犬」にあるといっても過言ではないはず。 重要なのはここにある「犬」は雪を降らせて結果的に「女」が死んでしまった事を後悔してないのだ。 うろたえはしたが後悔はしてない。する余裕も演出上ないか。。

「六花」の歌い方は実に良くて、あの部分だけを取り出して観たらきっと素晴らしいものだったと思うが いかんせん行為自体があまりにもへっぽこ過ぎて滑稽にすら見えてしまう。 そもそも待つのを止めるかどうかなど本人の都合でしかない。何かの代償になりえるものなのか。

やはり前回の終わり方の良さが際立つ。最後の最後に待ち人に逢える方が気持ちいい。 一番最初からこの話の根幹をなす部分だからだ。 つまるところ死なんだけど、それ以前に男も女も死んでるわけだし。 そうかそれがある意味幸福な事なのかもしれない。そんな気がしてきた。

前回の夜会を見た感想として 「話の展開に関係なく視覚的な盛り上がりさえもほとんど無いというのが意外といえば意外でした。 なんだ、私も中島さんに偏見を持っている・・。 」 と書いたが、偏見でも何でもなく今回見事に視覚的に驚くような仕掛けを最後の最後で見せてくれた。 かすかにゆれているあの枝の上で二人が落ちたりしないかハラハラして観ていた。 声量が全然違う二人・・。会場を見回すように歌う中島さん、対して天井ばかりを見つめて歌う香坂さん。 香坂さんは高所恐怖症でしょうか。(後で知ったが本当に高所恐怖症だそうだ。)

今までの夜会を思い出してみるとストーリーに少々難がある夜会に限りこういった視覚的に無理にでも盛り上げようと する演出が目立つ。

前回の夜会を観てよいと感じた人は今回よくないと感じ、 前回の夜会を観てよくないと感じた人は今回のを良いと感じたんじゃないかと思う。 どっちも良かったなんて人は無視。 今回のこの「女」の存在感の無さやら後半の流れに難がある舞台を 前回よりも良いと感じてる人も結構居るんだろう・・。 谷山さんも居ないしね、それはそれでいいのかもしれない。

いつからか言葉の実験劇場と銘打って続けられている夜会であるが、 一人がすべてをこなしている以上どうしてもマンネリ化は避けられない。 この先ずっと冒険をすることもなく同じ事を繰り返していくつもりなのだろうか・・。 ファンってのはマンネリが絶対的好きなわけで。それはある意味楽なのかもしれない。 夜会を始めた時も今までと違うモノに対する拒絶反応ってのはあった。 しかし今やファンを気持ちよく裏切ってゆくには少々歳をとりすぎたか・・。

つまり「これこそが夜会だ」などとファンに決め付けられるようなモノを創っていちゃダメだろう・・。 夜会の定義など中島さん自身は決めてなどいないはず、 「こんなの夜会じゃない」とまで言われそうな前回の夜会を観てかなり期待をしたものだが 残念ながら今回は再演、しかもかなりの制約もあった、ということでまあ仕方ないのかもしれない。

個人の好み、と言われればそれだけのこと。


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